毎年4月末からゴールデンウィークが終わるまでの約2週間、全国から約40万人の入場者を集める一大イベント「となみチューリップフェア」。メイン会場となる砺波チューリップ公園を中心に、イベント期間中に花開くチューリップは全450品種、総数にして約100万本。想像をはるかに越えるスケールで咲きそろうチューリップは、周囲一帯を花の絨毯で敷き詰めたような華やかな装いに染め上げます。
砺波市がはじめてこのフェアを開催したのは、日本が戦後の荒廃から復興しつつある昭和27年(1952)のこと。同年は、国内で初めての新品種「天女の舞」「王冠」「黄の司」が富山県で発表された年でもあります。
チューリップが国内で栽培されるようになったのは、大正初期から。その頃、神奈川県や千葉県などで球根にウィルスが頻発に発生したことから、太平洋側は栽培に不向きといわれました。富山県ではじめてチューリップが栽培されたのは、大正7年(1918)のこと。小作農の長男に生まれた水野豊造(ぶんぞう)氏が栽培に成功し、同氏が中心となって周辺農家を巻き込んだ生産体制が整えられました。小規模な小作農が多かったこの地区では、安全な二毛作への期待が大きく、農業所得の増大をもたらすものとして期待が膨らみました。 肥沃で良質な水を含んだ扇状地が発達している砺波平野は、チューリップの栽培に適していました。また冬場に降り積もる雪が、地中の温度と湿度を一定に保ち、秋に植えた球根を霜柱などの害から守ってくれました。花が咲いてからの約1カ月間に球根が最も肥大する時期が、1年のうちで最も晴天の多い季節にあたることなど、自然条件に恵まれていました。水田のために整備された用水によって充分に灌水できる環境が整っていること、黎明期から農業協同組合が設置され組織的な取り組みが行われてきたなどの背景も、チューリップ栽培が普及した要因となりました。
栽培がはじまった当初、球根の出荷先は主に海外でした。県産の球根がはじめて海を渡ったのが昭和12年(1937)。昭和15年(1940)には、アメリカへ40万球を輸出するまでになっていました。第2次世界大戦を経て、戦後の輸出農産物第一号となったのは、県内で栽培された10万球のチューリップ球根でした。その後の高度経済成長期に輸出量は増え続け、昭和39年(1964)には、全出荷数2,500万球のうち約8割は海外へ輸出されました。昭和53年(1978)、県産球根が全輸出量の100%を占めて以来、現在も日本で唯一、チューリップの球根を輸出する県となり、平成3年まで続けられました。
また、県内で研究開発されたチューリップの新品種が、海外で認められるようになりました。新たに生み出された全28品種のうち、平成3年(1991)に「黄小町」、平成16年(2004)に「初桜」「白雲」、平成18年(2006)に「夢の紫」がチューリップの本場であるオランダで品種登録されました。
富山で育てられた球根が初めて海を渡ってから70年余りが経ち、富山で開発された新しいチューリップが、これまでに見たことのないような花を世界の舞台で咲かせています。
富山県では、チューリップの品種改良や新品種の開発が積極的にすすめられています。昭和22年(1947)、国内唯一のチューリップ研究機関(現富山県農林水産総合技術センター園芸研究所)が富山県砺波市に設けられました。現在も新品種の育成や生産技術の確立に関する研究が行われています。
これまでに育成されたチューリップは、鮮明な黄色で大輪の花を咲かせる「黄小町」、白色に桃色の2色を咲かせる「初桜」、晩生大型品種でオレンジ系の花を咲かせる「紅ずきん」など、全28品種があります。また、「楊貴妃」「春のかざぐるま」など生産者自らが育成した品種も生まれています。(写真は「初桜」)
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