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特集:今が旬 梨

幸水、豊水、新高でつなぐ収穫リレー

 富山県のほぼ中央を南北に貫く呉羽丘陵では、残暑が厳しい8月中旬から梨の収穫がはじまり、秋がそこまで迫っていることを知らせます。呉羽地区の約160haで栽培され、3000t近く出荷される梨は、地区内に2つある大型選果場で選り分けられ、「呉羽梨」というブランドで一元出荷されます。出荷される品種は主に3種類。8月中旬から9月上旬にかけて収穫される「幸水(こうすい)」は、酸味が少ない爽やかな味わいがあり、果汁が多く歯触りがよいのが特徴です。大きさは300〜350g程度で、全出荷量の約7割を占めます。つづいて9月下旬まで収穫されるのが、ほどよい酸味がある「豊水(ほうすい)」。大きさは350〜400g程度と幸水よりひと回り大きく、果汁が多く濃厚な味わいがあります。10月以降は、さらに大きい400〜500g程度の実をつける「新高(にいたか)」の収穫に替わります。たっぷりの果汁に、ほのかな香りと少しの酸味が効いた味わいで、梨シーズンを締めくくります。
 このように、8月中旬から10月中旬までの約2カ月間、呉羽梨を代表する3つの品種が順番に収穫され、甘さを含んだたっぷりの果汁で、乾いた喉を潤してくれます。

長十郎にはじまり、幸水で有名に

 呉羽地区で梨の栽培がはじまったのは、明治30年代のことです。標高80mの丘陵地帯は水の便が悪く、しかも水はけがよいためすぐに干上がってしまい、稲作には不向きでした。そこで、この地区に住む土池弥次郎(どいけやじろう)が立ち上がり、呉羽の土壌に適した作物を見つけるために全国の農園を訪ね歩きました。日本梨に目をつけた弥次郎は、東京から苗を持ち帰り、自分の畑で栽培をはじめました。「長十郎」という品種は、栽培開始から数年後、たわわに実を結びました。弥次郎の成功に続けとばかりに梨畑は広がり、昭和初期には栽培面積が40haに広がりました。戦時下の強制伐採により、一時的に縮小したものの、昭和46年にはじまった米の生産調整対策を契機に、梨畑が飛躍的に拡大しました。この時に、当時まだ新しい品種だった「幸水」が全国に先がけて導入され、爽やかな甘さが市場に受け入れられて呉羽梨の名声が高まりました。

環境保全と食の安全確保のために

 呉羽丘陵には350軒ほどの梨農家があり、すべての農家が化学肥料や農薬の低減につとめています。この実績が評価され、平成18年、呉羽地区の梨農家全員がエコファーマーの認定を受けました。国内の梨産地で、これほど大規模な認定を受けたのは、全国で初めてのことでした。また、翌19年、農業振興の模範となる優秀な成果を収めた生産者に贈られる「富山県農業振興賞」で「環境にやさしい農業部門」を、さらに翌20年には「全国環境保全型農業推進コンクール優秀賞」を受賞しました。これらは、常日頃から農村環境の保全や食の安全・安心確保のため、技術や経営の発展につとめていることが認められたもので、呉羽梨の評価がより高まることが期待されています。
 「呉羽地区を豊かな村に」と立ち上がった弥次郎の情熱は、およそ1世紀を経た今も受け継がれ、呉羽地区に豊かな恵みをもたらしています。

梨は呉羽丘陵の風物詩

 呉羽丘陵の春は、桜の花が見頃を終える時期と前後して、梨の花が満開になります。梨の花が咲きそろうと、周囲一帯は白い絨毯を敷き詰めたような風光明媚な光景となります。梨の木の下で花見をしたり、梨畑を見下ろすレストランが賑わうなど、この時期は呉羽丘陵ならではの春の光景が話題になります。
 4月中旬から下旬にかけての開花時期は、交配を行う大切な時期です。花は咲いても、受粉しないと実を結ばないので、手作業によって人工授粉が行われます。花粉を綿棒にとって、ひとつひとつの花につけてやる作業は、梨農家にとってとても大変なものです。また、5月以降は摘果作業、夏は防除作業やかん水作業、秋は収穫、選果、その後は翌年に向けたせん定作業や棚付作業など、梨農家は1年を通して作業に追われます。このような努力があってはじめて、呉羽丘陵に美しく咲き誇る白く花は、汁たっぷりの甘い実を結ぶことができるのです。

富山市呉羽商工会ホームページ:http://www.shokoren-toyama.or.jp/~kureha/
呉羽梨産地の概要(JAなのはな/富山市発行)
おいしい梨ができるまで(なのはな農協呉羽梨選果場発行)

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